それは、あまりにも突然だった。 今から三週間と一日前の、12月9日水曜日の夜だった。 仕事帰りに電車に乗っていたら、車内でとても衝撃的なものを見てしまった。 目の前に2人のおばちゃんが立っていたのだが、 その2人が手に同じ新聞をそれぞれ持っていた。 新聞の薄っぺらさから夕刊紙やスポーツ紙では無く、号外だという事が伺えた。 紙面には塁上を走る赤星の写真がでかでかと載っていた。 そして文字に目を移すと『赤星、引退』とゆうショックの4文字。 まさかこんな形で、悲しいお知らせを知ることになろうとは・・・。 おそらく大阪駅の南側辺りで配られていたのだろう。 慌てて号外を貰いに向かおうかとも思ったが、他に持っている人もなく、 もう既に配り終えてる様な雰囲気だったので断念した。 寄り道せず急いで部屋に帰って、真っ先にネットで情報を確認した。 12月9日、兵庫県西宮市内のホテルで会見を開き現役引退を発表したとの事。 9月12日の横浜戦で負傷した中心性脊髄損傷からの回復が難しく、 100%のプレーができないと判断し9年間のプロ野球人生に幕を閉じた赤星。 後の報道で解った事だが、命に関わる深刻な怪我で事実上のドクターストップ。 それにより10月末に球団から引退勧告を受けていた事も明らかになった。 本当に真面目でファン想いの赤星だから、 引退発表までに心の葛藤がかなりあったんじゃないだろうか。 「ファンの皆さんにプレーを見せられないのが寂しい」 会見での真面目で赤星らしいコメントに泣かされた。 非常に残念ではあるけれど、今後は身体を大事にして欲しいと心から思う。 繰り返すが、赤星は本当に真面目でファン想いでガッツ溢れる選手だった。 印象に残っているのは巨人戦で勝利した時のお立ち台でのコメント。 「巨人に勝ってなんぼですから」と阪神ファンを喜ばす発言が嬉しかった。 また、丁度入団時に新庄剛志の移籍が決まり、 まるで華のある人気選手の離脱に悲しむファンを勇気付けるかのように、 「新庄さんの穴は僕が埋めます」と頼もしい発言をしたのを覚えている。 今思えば、自分はこの大胆な発言で赤星を知ったのだ。 正直、当時は新庄の大ファンだったので、 こんな小さくて地味な選手が新庄の穴埋めなんか出来るかいと思っていた。 ところがどっこい新人王と盗塁王のダブル受賞で華やかにデビュー。 以降5年連続盗塁王、ゴールデングラブ賞6回、ベストナイン2回を受賞。 俊足で巧打者で守備範囲の広い、走攻守全て揃った選手だった。 センター寄りにフライが上がれば必ず赤星が捕るという安心感があった。 内野の頭は越えなくても三塁線に転がせば、内野安打になる確立が高かった。 一塁に立てば盗塁の期待が膨らみ、 二塁へ盗塁したら次はワンヒットでホームインという期待が膨らんだ。 そしてなにより生まれてこのかた、 阪神タイガースでこれほど盗塁が出来る選手を見たことがなかった。 再度繰り返すが、赤星は本当に真面目でファン想いで心優しき選手だった。 盗塁した数だけ車椅子を寄付するという活動を毎年行っていた。 一昨年だったか、その車椅子がネットオークションに出るという事件が起き、 普段おとなしい赤星が「人として許せない」と怒ったのを覚えている。 昔、サイン中にファンに髪を切られそうにそうになって怒ったのも有名な話。 球場での心無いファンの野次に正面から言い返していたのも記憶に新しい。 マナーを守らないファンを見て見ぬ振りで過ごすスターは山ほどいるけど、 レッドスターは違う。けしてファンに媚びたりはしない。 それでいて、リップサービスを含めてファンサービスは徹底している。 それはなにも2006年から4年間選手会長を務めたからではない。 デビュー当時から一貫してそうなのだ。人柄というか人間性なのだろう。 赤星憲広(あかほしのりひろ) 1976年4月10日生まれ、愛知県出身、身長170cm、右投左打外野手。 愛知県立大府高、亜細亜大、JR東日本、を経て、 2000年にドラフト4位で阪神タイガースに入団。 デビューは01年3月30日。以来背番号53たてじまひとすじ9年間活躍。 1276安打、3本塁打、215打点、381盗塁、通算打率2割9分5厘。 最終試合は09年9月12日。・・・同12月9日に引退発表。 甲子園でメガホンを叩きながら「走れ!走れ!赤星!」と声援を送ったら、 見事に盗塁を決めてくれたのが、つい昨日のように感じる。 それまでに無かった阪神の足を使う野球を楽しませてくれてありがとう。 爽快な走りを沢山見せてくれてありがとう。 さらばレッドスター! Thank You 赤星♪ 9年間、本当にお疲れ様。 (2009/12/31) |
File.30 さらば赤星憲広
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