1997年の入団から9年、遂に左のエース・井川慶が、 ポスティングシステムで、米大リーグのニューヨーク・ヤンキースへの移籍を決定した。 まず11月10日に、ポスティングシステムによるメジャー挑戦を表明。 ヤンキース以外に、メッツ、マリナーズ、カブス、パドレス、ダイヤモンドバックス等、 10球団前後のチームが応札した模様と報道された。 そして11月29日、ニューヨーク・ヤンキースが2600万194ドル、 日本円にして約31億超のビックリ価格で、独占交渉権を落札したと発表された。 この時点で、阪神タイガースの井川ではなくなったのだ。 まぁいずれはこうなると前から解ってはいたものの、未だにピンとこない。 来年は、井川が居ない投手陣でのローテーションとなる。なんとも想像し難い。 ここ数年、なんやかんや言っても、彼が投手の中心、大黒柱であったし、 エースと呼ばれるだけの実績も、しっかりと残していた。 そんな井川を抜きにして、開幕投手は? 星勘定は? サウスポーエースの後継者は? これが、まだはっきりと浮かんでこないのだ。 ただ、タイガースの雰囲気が、ガラッと変わるかなーと思う。 1997年に、ドラフト2位で阪神タイガースに入団。 1999年5月2日の広島戦(甲子園)で中継ぎとしてプロ初登板。 3四死球被安打1で1死も取れずに降板という、ノーコン全開のデビューだった。 この時、安打を放ったのは、広島時代の金本だった。この年の成績は1勝1敗。 2000年は1勝3敗。2001年は9勝13敗。オールスターに出場した。 2002年は初めて開幕投手となり、14勝9敗。 この年は、三振206個を奪い、最多奪三振のタイトルを獲得した。 2003年は20勝5敗で、優勝に大貢献。 MVP、沢村賞、最多勝、最優秀防御率、ベストナインと5冠を獲得した。 2004年は14勝11敗で、228個の三振を奪って2年ぶりの最多奪三振獲得。 そして、史上71人目のノーヒットノーランを記録した。 2005年は13勝9敗。この年に投球回数1000を達成した。 2006年は14勝9敗。この年で5年連続2桁勝利を記録した。 史上119人目の、通算1000奪三振も達成し、3度目の最多奪三振を獲得。 9年間の通産成績は、86勝60敗1セーブ奪三振1174防御率3.14。 公式サイトはhttp://www.k-igawa.com/(このまま存続するかは解らないが) とにかく派手な負け方をする為、KOされた場面がよく印象に残るが、 これらの数字を見れば、間違いなく彼はエースだったのだ。 他チームにマークされ研究しつくされながらも、 ずっと開幕投手、ローテーションの頭、二桁勝利と活躍していた井川。 特異なキャラクターも魅力的で、好きな投手だった。 後付けなんかじゃない(以下に詳しく)、本当に応援していたのだ。 ます名探偵コナンの大ファン。(←これが一番!) 髪を切れと言われるほど意地になって髪を切らないところ、 これも、本当に自分とよく似ている。気持ちがよく解る。 実況パワフルプロ野球が好きで、信長の野望にもハマっていた。 他にもラジコンとサッカーが好きらしいが、その2つは別として、 ゲームの趣味は、全く自分と同じなのが、びっくりした。 彼は水戸っぽ自分は関西人…の違いこそあれ、納豆が嫌いなのも同じ。 将棋が好きなのも一緒だ。部屋に1人でいる時間が好きなとこも似ている。 よく食べてよく眠るところなんかもそっくりだ。 他にも、こだわり派、お寝坊さん、マイペース、とか…。 ざっと思いつくだけでも、10個以上共通点があるイガー。 ヒーローインタビューが無愛想だったのは、やや不満だったが、 それもまた彼の個性だし、憮然とした姿が頼もしくさえ思えた。 何よりも生え抜きの投手だし、真面目に野球やってる姿は好感が持てた。 そんな井川が、阪神から出て行く事を寂しく無いと言えば嘘になる。 しかし、井川にとっては、ずっと望んでいた事だから、 向こうでも頑張って貰いたいと、心の底から本当に思っている。 これは、新庄の時と全く同じ気持ちだ。 大リーグには李承ヨプが居ないから大丈夫だ。頑張れイガー! 2度と阪神に戻ってくんじゃねぇーぞこんちくしょう! (2006/12/12) |
File.23 さよなら井川慶
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