File.23 さよなら井川慶

1997年の入団から9年、遂に左のエース・井川慶が、
ポスティングシステムで、米大リーグのニューヨーク・ヤンキースへの移籍を決定した。
まず11月10日に、ポスティングシステムによるメジャー挑戦を表明。
ヤンキース以外に、メッツ、マリナーズ、カブス、パドレス、ダイヤモンドバックス等、
10球団前後のチームが応札した模様と報道された。
そして11月29日、ニューヨーク・ヤンキースが2600万194ドル、
日本円にして約31億超のビックリ価格で、独占交渉権を落札したと発表された。
この時点で、阪神タイガースの井川ではなくなったのだ。

まぁいずれはこうなると前から解ってはいたものの、未だにピンとこない。
来年は、井川が居ない投手陣でのローテーションとなる。なんとも想像し難い。
ここ数年、なんやかんや言っても、彼が投手の中心、大黒柱であったし、
エースと呼ばれるだけの実績も、しっかりと残していた。
そんな井川を抜きにして、開幕投手は? 星勘定は? サウスポーエースの後継者は?
これが、まだはっきりと浮かんでこないのだ。
ただ、タイガースの雰囲気が、ガラッと変わるかなーと思う。
井川慶
井川慶。1979年7月13日、茨城県生まれ、水戸商高出身の投手。
1997年に、ドラフト2位で阪神タイガースに入団。
1999年5月2日の広島戦(甲子園)で中継ぎとしてプロ初登板。
3四死球被安打1で1死も取れずに降板という、ノーコン全開のデビューだった。
この時、安打を放ったのは、広島時代の金本だった。この年の成績は1勝1敗。
2000年は1勝3敗。2001年は9勝13敗。オールスターに出場した。
2002年は初めて開幕投手となり、14勝9敗。
この年は、三振206個を奪い、最多奪三振のタイトルを獲得した。
2003年は20勝5敗で、優勝に大貢献。
MVP、沢村賞、最多勝、最優秀防御率、ベストナインと5冠を獲得した。
2004年は14勝11敗で、228個の三振を奪って2年ぶりの最多奪三振獲得。
  そして、史上71人目のノーヒットノーランを記録した。
2005年は13勝9敗。この年に投球回数1000を達成した。
  2006年は14勝9敗。この年で5年連続2桁勝利を記録した。
史上119人目の、通算1000奪三振も達成し、3度目の最多奪三振を獲得。
9年間の通産成績は、86勝60敗1セーブ奪三振1174防御率3.14。
公式サイトはhttp://www.k-igawa.com/(このまま存続するかは解らないが)

とにかく派手な負け方をする為、KOされた場面がよく印象に残るが、
これらの数字を見れば、間違いなく彼はエースだったのだ。
他チームにマークされ研究しつくされながらも、
ずっと開幕投手、ローテーションの頭、二桁勝利と活躍していた井川。
特異なキャラクターも魅力的で、好きな投手だった。
後付けなんかじゃない(以下に詳しく)、本当に応援していたのだ。
井川慶
自分と色んな共通点があって、井川には親近感を抱いていた。
ます名探偵コナンの大ファン。(←これが一番!)
髪を切れと言われるほど意地になって髪を切らないところ、
これも、本当に自分とよく似ている。気持ちがよく解る。
実況パワフルプロ野球が好きで、信長の野望にもハマっていた。
他にもラジコンとサッカーが好きらしいが、その2つは別として、
ゲームの趣味は、全く自分と同じなのが、びっくりした。
彼は水戸っぽ自分は関西人…の違いこそあれ、納豆が嫌いなのも同じ。
将棋が好きなのも一緒だ。部屋に1人でいる時間が好きなとこも似ている。
よく食べてよく眠るところなんかもそっくりだ。
他にも、こだわり派、お寝坊さん、マイペース、とか…。

ざっと思いつくだけでも、10個以上共通点があるイガー。
ヒーローインタビューが無愛想だったのは、やや不満だったが、
それもまた彼の個性だし、憮然とした姿が頼もしくさえ思えた。
何よりも生え抜きの投手だし、真面目に野球やってる姿は好感が持てた。
そんな井川が、阪神から出て行く事を寂しく無いと言えば嘘になる。

しかし、井川にとっては、ずっと望んでいた事だから、
向こうでも頑張って貰いたいと、心の底から本当に思っている。
これは、新庄の時と全く同じ気持ちだ。
大リーグには李承ヨプが居ないから大丈夫だ。頑張れイガー!
2度と阪神に戻ってくんじゃねぇーぞこんちくしょう!

(2006/12/12)

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