18年間、タイガースのユニフォームを着て、 暗黒の時代からずっと頑張り続けてきた八木選手。 10月10日の引退試合、甲子園の観客4万8000人の前で、 最後のヒットを決め、自ら花道を有終の美で飾った。 一塁の守備でウイニングボールもキャッチし、 8対3の勝利で対巨人最終戦を終えた八木選手は、 試合後、甲子園から多くのファンに向けて挨拶をした。 「あこがれの甲子園球場のバッターボックスに入ることは…」 そこまで元気に出ていた八木選手の、声のトーンが急に落ち、 「もうありません」の言葉は重く心に響くものとなった。 八木裕。1965年6月8日、岡山県生まれ。右投げ右打ち。 岡山東商(甲子園出場無し)から三菱自工水島へ。 1987年、ドラフト3位で阪神タイガースに入団。 デビューは87年5月13日の後楽園での巨人戦。 吉田監督から代打で起用された八木の背番号は14。 当時怪物と呼ばれた江川卓投手から、 プロ初打席に代打本塁打を見事にかました。 まさに、『代打の神様』らしいデビューだった。 プロ通算18年で、3728打席817安打126本塁打。 80年代後半から96年の手術までは、レギュラーで出場。 当時の印象は長打力が魅力で、掛布選手程のスター性は無いけど、 バース・掛布・岡田の強力クリーンナップの、 あとを継いでくれる選手になって欲しい、そう期待して応援していた。 地味ながら、前述の3人が欠けた打線の中では、 細い身体に似合わない強打と、安定したサードの守備は頼もしかった。 あんんまり笑わない堅い表情も、勝負師らしく渋いなーと感じていた。 怪我でレギュラーを諦め、代打として再生してからは、 以前の真弓を継ぎ、インパクトがあり、大活躍で楽しませてもらった。 代打成績4割を記録した時もあり、 まさに『代打の神様』と呼ぶに相応しい1打席の集中力に魅せられた。 関係無い話だが、18年前の野球ゲーム『燃えろプロ野球』では、 前の打順のバースが1塁にいる時、八木がホームランを打つと、 必ずバースを追い越して八木が先にホームインする。 ホームランが打てるパワーは実際の八木選手の通りだが、 足が実際に比べ、もの凄く早い設定になっていたのを思い出す。 『プレステ』どころか『スーファミ』すら無いファミコン時代。 そんな懐かしいゲームの事からも、18年の縦じま一筋を感じ、 ずっと阪神タイガースで頑張ってたんやなぁ〜と思いにふける。 引退試合のあった深夜、特別番組『虎バン』を見ながら、 その歴史を振り返り、懐かしみ、改めて感動し、 いつもより、寝る時間が遅くなり、酒の摂取量が増えた。 神様の思い出に浸った夜。 来年から・・・いや明日以降永遠に、 もう彼の打席に声援を送る事が出来ない。 時代は流れるもんなんやなーとしみじみ。 ガキの時代から応援していたタイガース。 その中の大半、18年間に八木選手はいた。 ずっと楽しませてもらった。 本当にお疲れ様。そして、ありがとう。 (2004/10/24) |
File.11 神様に感謝
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